勝負哲学

in #japanese7 years ago (edited)

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uma58です。

今日は3人団体の将棋大会に参加してきました。
結果から言うと、上中下の中クラスで準優勝しました。

久しぶりに出た大会でしたが、序盤がかなり冴えていました。大学時代の経験の成果だと思います。
しかし、中終盤はやはり鈍りきっており、大優勢からもつれてばかりだった気がします。

まぁなんにせよ、準優勝という結果、そして個人として全勝出来たことは、
就活で苦しんでいる日々の中で久しぶりに明るい出来事となりました。

今日の将棋大会で、少し思うことがあったのでそれを記事にします。

私は本日4局目、一応勝てば準優勝まで見える対局において必敗となるも、相手が時計のボタンを押し忘れ、時間切れで勝利を収め、これがチームの勝利、並びに準優勝につながる非常に重要な価値を持つ勝負となりました。

この時間切れ、私は相手が時計を押していないことに気付いていました。
普通は相手が途中で気が付いて、事なきを得るのですが、今回は相手が気が付かずにそのまま時間切れになってしまいました。

何でもないような時なら、たとえ負けていても、こういったミスに気が付いたら相手に声掛けをして直してもらうのが、私の中でのマナーなのですが、

今回は、
団体戦で自分の勝敗がチームメンバーをも左右する、一応準優勝だとかが見える場面である、負けが目に見えていて藁にもすがりたい、余計な指摘をするほど心の余裕がない状況である
等の背景があり、最終的には「相手が気付くのを待つ」という選択をしてしまいました。

結果的にそれで勝ちはしましたが、案の定どこかすっきりしない気分にはなりました。

時計の押し忘れをしたのは相手のミスであり、一応私に非はないことにはなっているんですが、将棋で負けていながら、将棋以外の部分で勝つのは気分が悪いです。

「汚い手を使いやがって」「人間としてダメ」
「ミスをした相手が悪いから気にすることない」「勝負に徹するならどんな手を使ってでも勝つべき」

いろいろな意見があるとは思います。が、出来るならこんな決着の仕方はしたくないなと思いました。

同じような葛藤は、勝負事、競技なら何かしらあると思います。

スポーツで本当は自分でも判定間違いだと思っているけど、誤審に乗じて得な判断に従うのは普通かと思います。審判のジャッジには従わなければいけないから、という側面もあるとは思いますが...。

プロスポーツならスポンサー、メンバー、ファンなど、重要なものが懸かっているからこそ、時として倫理とか道徳とかではなく、勝負を優先させる選択をしているのでしょうが

今回のように、楽しむために出た小さな大会でこんなことをしてまで勝ちたいのか、といわれれば、もう何も言えません。

しかしここで後悔して、勝たなくてもよかった、なんて言ってしまうのは、それはそれで失礼だと思うので、今回は素直に勝てたことに感謝したいと思います。

対局相手の方々と、チームメンバーおよび部活のメンバーに感謝です。
ありがとうございました。