理由は常に後づけだ。「ページをめくる感覚が大事」と言っていた僕は一日で電子書籍にドハマリした。
大学1年生の僕は、在学していた慶應大学の一般教養キャンパスに、あまり居場所を見いだせなかった。
部活やらサークルやらは、入学して半年で全て行くのをやめた。理由はあまりない。あえて言うなら面白くなかったからだ。
とにかく退屈だった。口を開けば聞き飽きた単位の話や恋愛の話、真新しい切り口を見せる人間は誰もおらず、当たり前に当たり前をなぞるだけの時間。
まるで「Aと言われたらB」とプログラミングされているかのように、決まった流れで会話を繰り広げる学生たちとの時間を、僕は耐えきれなかった。
今思えば、アレは退屈に耐える試練だったのかもしれない。エリートとは、退屈に耐える能力を持つ者を指す。僕はエリートになりきれなかった。
さて、そんな僕でも、キャンパスの中で好きな場所がいくつかあった。
そのうちの一つは図書館(慶應の学生は「メディア」と呼ぶ)だ。
二階に上がってすぐの窓際、木の長机があった。僕の指定席だ。「文学」の棚に近くてアクセスしやすいし、窓からイチョウも見える。好きな席だった。
大学の講義が終わった後、よくその席に座って本を読んだ。
耽美な文学の世界観にうっとりしたり、面白いエッセイのひとくだりに声を殺して笑ったりした。
あの頃の僕は、電子書籍反対派であった。
「だって、ページをめくる感覚が大事じゃないか」
僕の図書館の指定席は、イチョウが風にざわめく音がかすかに聞こえ、少しザラザラした木の長机が本を支える、素晴らしい場所だった。
図書館に置いてある、大学図書館のバーコードがラミネート加工された表紙と、経年によって日焼けしたページの本が、あの指定席にはピッタリだった。
僕は、図書館のあの空間をまるごと愛していた。本の内容だけではなく、あの空間全てがセットで、大きな意味を持っていると思っていた。
本というのは、単に文字が羅列された情報伝達手段ではない。何らかの情緒性や何らかの物語性を伴う、もっと高次の存在である。
したがって、読み解く時には、情緒性のある空間や、実体として日焼けや折れ目などの情報を持っている「紙の本」が必要だ、と思っていた。
ちょうど僕が大学一年生の頃、世間では電子書籍の市場が成長し始め、「電子書籍元年」と呼ばれ始めていた。
僕はそんな潮流を唾棄すべきものだと思っており、電子書籍の話題が出る度に言っていた。
「だって、ページをめくる感覚が大事じゃないか。本ってのは単に情報が伝わればいいってもんじゃない。情緒が大事なんだから」と。
どんなにたくさん電子書籍のメリットを挙げられても、やっぱり紙の本が一番だよ、と思っていた。
「安かったから、まあ試しに、ね」
図書館に入り浸っているうちに、僕は大学二年生になった。二年生になると途端に学科の学問が面白くなり、割とマジメに大学に通うようになった。
ほとんど図書館に入り浸るために大学に行っていた一年生の頃と違い、学科の勉強であるコンピュータサイエンスをよく勉強した。学科の友人と話す時間も増えた。一年生の頃よりは面白い友人に恵まれたように思う。
さて、そんな僕はマンガも大好きである。時間がたくさんあった大学生の僕は、活字もマンガもたくさん読んでいた。
そして、この頃の僕はしばしば思うようになった。「マンガを所有して移動するの、厳しすぎやしないか」と。
というのも、慶應義塾大学は3年生からキャンパスが移動になる。僕は2年から3年に上がるのに合わせて、引っ越しをしようと思っていた。
引っ越しを検討すると、嫌気が指すのが紙の本の移動である。いや、まあ活字の本の類は図書館を活用していたから、それほどの量はない。問題はマンガだ。
一年間で僕はマンガの単行本を200冊以上は買っていた。これ、引っ越すのキツいな…。と思った。これさえなければ荷物が少ない僕は、あっという間に引っ越しができるのに。嫌気がさす。
そして、もっと嫌気がさすことに、この現象は多分一生続くのだ。僕のマンガ好き・本好きは多分一生変わらない。
したがって、移動する度に本をどうにかすることを考えないといけないのが、一生続くのだ。
そんなことを頭の片隅で考え始めた折、ネクサス7というタブレット端末を見かけた。当時Amazonのセールで1万円くらいで売っていた。
「タブレットってこんな安く買えるのか。ちょっと買って電子書籍とやらを試してみるか」
今でこそ廉価タブレットは珍しくないが、当時はかなりショッキングな値段設定だったような気がする。僕は安さに負けて、試しに飼ってみることにした。
「まあ安かったから、試しに、ね」
誰への言い訳かも分からないそんな独り言をこぼして、僕はKindleのアプリをネクサス7にインストールして、電子書籍で初めてマンガを読んだ。
「もう紙の本買うのやめるわ」
さて、情緒性がどうのこうの、ページをめくる感覚がどうのこうの、と言っていた僕はどうなったか。
ありえないくらい電子書籍にドハマリして、一日中タブレットで本を読むようになった。
電子書籍は、すごい。重さ300gのタブレット端末の中に、何百冊という本を入れて持ち運べる。カバンから取り出して、その場の気分で好きなものを読み進められる。
この特徴が、飽きっぽく気分屋の僕に大いに響いた。
そして、使い始めてみると、ぶっちゃけ、ページをめくる感覚など要らなかった。本はあくまで情報を伝達するものであり、それ自体に情緒性は必要ない。
表紙の手触りや、ページの日焼け……といったものも、必要ない。
良い本は、新品の本だろうが日焼けした本だろうが良い本だ。電子書籍だろうが良い本だ。
そのことに気づいた僕は、電子書籍反対派の立場をたった一日で返上し、礼賛派に回ることとなった。
「やっぱりページをめくる感覚が大事だよな!」と語り合った友人には、舌の根も乾かぬうちに「俺、もう紙の本買うのやめるわ」と突如としてカミングアウトし、電子書籍礼賛派への鮮やかな転身をはかった。
理由は常に後づけだ。何かを批判する人は批判したいから何か理由を見つけてきて批判するのであり、理由があるから批判するわけではない。
何となく電子書籍が気に入らなかった僕は、電子書籍のあらを探して批判した。そして、その良さに触れたら、あっという間に逆のことを言い出した。
あの日以来、誰かが言う「嫌いなもの」の理由をあまり気にしなくなった。彼/彼女が語る理由には、あんまり意味はないのだろう。嫌いだから嫌いなのだ。後づけで理由を探している場合がほとんどなのだと思う。
あなたが嫌いなものはなんだろう。そして、その理由はなんだろう。その理由、後づけじゃないですか?
私、マンガは電子書籍オッケーなんですが、@kenhori2さんは一般書籍も電子書籍で読まれるのですか?
一般書籍はパラパラ見したいので、わざわざ紙の本、選んじゃってます(^^;
一般書籍も電子書籍ですね!!
電子書籍は検索が効くので、パラパラ見る必要はほとんどないということに気づきました!「あんな感じの内容どっかにあったよな……」は検索で一撃で終了します!
検索できると話は変わってきますね。
よし、とりあえずkindle本一冊ポチってみました(*'▽')
私も電子書籍やらず嫌いなのですが(笑)
やっぱり始めてみると便利だし、良いのでしょうね…
始めるやいなや、「もう紙の本一生買わないわ」ってなりますよ!笑
場所取らないしスクショできるし、無限に持ち歩けるしいつでもどこでも読めるし、メリットしかないです笑