創作の源泉は孤独だ。宮沢賢治「告別」は正しいのだと思う。
孤独を癒しすぎてしまった。
今、千葉県のあの村から東京に戻ってきている。
3日間ほどの滞在だ 東京にいる3日間の間に飲み会の予定をたくさん入れた。ランチの予定もたくさん入れた。
人と会う予定が盛りだくさんの3日間になった。
それ自体は喜ばしいことなのだけれど、進める予定だった発信作業が進まなかった。そう、仕事が進まなくなった。
この原因は単純に予定を入れすぎて時間がなかったということではない。
デスクワークをするための時間はスケジュール帳にちゃんと確保しておいた。
ではなぜ、作業が進まなかったのか?孤独を癒やしすぎてしまったからだと思う。
僕は孤独を原動力にして発信作業している。孤独をガソリンにして仕事をしている。
だから、人と常に会って孤独が常に癒されている日々の中の空き時間では、発信が進まなくなってしまった。
気合を入れて文章を書く仕事をするなら、少なくとも5時間くらいはたっぷり、孤独な時間が必要だな、と改めて思った。
誰かと会って孤独が癒されている時間は、素晴らしい。僕は一人では生きていけない。
しかし、同時に孤独が癒され続けていてもいけない。僕の創作の原動力は孤独なんだ。
宮沢賢治の”告別”という詩がある。
”みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ”
この詩に出会ったのは高校生の時だった。そうか、”さびしさ”で”音をつくる”のだな、とひどく感動したのを覚えている。
創作の源泉は孤独だ。寂しさで、僕は文章を書いている。
孤独を癒やしすぎてしまった3日間を終えて、明日はあの村に戻る。明日は来客がない予定だから、あのだだっ広い山奥で、一人で夜を過ごすことができる。
寂しい時もあるけれど、寂しさで良い物を生み出せるなら、こんなに嬉しいことはない。
孤独を抱いて眠ろう。孤独を愛そう。創作の源泉は孤独だ。
その通りです。私にとって絵を描くことは孤独と向き合うことでもあります。