新米を炊く
釜でなくてもメシは炊ける。後に映画監督となる岡本喜八は太平洋戦争勃発の年、ヤカンを手に上京した。これ一つでみそ汁も作り、コメも炊いた。やがてフィルムの空き缶が取って代わる。コメ1合にちょうどよかったという
炊きたてのメシにバターをのせ、醤油(しょうゆ)をかけて食うのが最高のごちそうだったと岡本は書く。なくてはならないのが香ばしいおこげ。電気で炊くのは便利だが、メシがメシらしくなくなったと嘆く(「男ひとりのヤカンメシ」)
我が家も炊飯器だけでなく、ときどき土鍋を使う。土鍋だと炊けるや否や待ってましたと食べ始めるので、そこにもうまさの秘密があるように思う。道具は何であれ、炊きたてが食べたい。新米の季節である
コメの出来具合は全国的には「平年並み」で、北海道や東北などは「やや良」の豊作という。そんな新米にも新型コロナは災難をもたらす。外食の需要が落ち込み、いつになくコメ余りとなりそうだ
家庭の消費量は増えたものの、海外からの観光客が消えたことが響いている。今まで知らず知らずコメを輸出していたようなもので、外国人の舌も楽しませてきた。目減りを補うまではいかずとも新米をなるだけ味わいたい。〈新米を炊くよろこびの水加減〉岡田眞三
今年社会に飛び出した新米たちも、いきなりテレワークになるなど受難を経た。仕事をどこまで覚えられたか、本人も周りも心許(こころもと)ない。立派に炊きあがるための水加減に、いつもより気を使う年である。